※下の文章では声優とはアニメ声優、俳優とは映画・ドラマの俳優を指している。それ以外にも敷衍できる内容を書いているつもりだけど冗長になるので。
声優は声だけで全て表現してるからすごい!とよく言われるが、この手の話を聞くたびなんとなく違和感を感じてしまう自分がいる。
「声だけ」という部分に関しては、実際には演技の際身振り手振りや表情の変化などあるんだろうがその様子は受け手の目には届かないので(息づかいも声に含めるならば)これは正しいようにみえる。
ひっかかっているのは「声優は」という部分だ。
声優の話なんだからそりゃ「声優は」という主語で始まるに決まってるわけだが、ここには「俳優とは違い」という意味も込められているものと思う。現に件の称賛は「声優と俳優の違い」という文脈で語られることが多い(ググればすぐ出てくる)。
とはいえなにも俳優を貶すような語り口はそうそう見かけるものではなく、別に片一方をダシにして持ち上げる不当さに腹を立てているわけではない。表現手段の制約の多寡をもって「声優と俳優の違い」の説明とするのも単に一面の事実として頷けるものだ。
おそらく自分の違和感は声優と俳優の演技を地続きのものとしている前提に対するものだ。
思うに、声優と俳優の演じるキャラクターはそれぞれリアリティの拠り所が異なっている。二次元と三次元ではビジュアルに絶対的な違いがあるのは当然として、(意図的かどうかは問わず)ジェスチャーや物理法則も同一ではない。大まかに言ってその違いがアニメにはアニメの、実写には実写の「正しさ」みたいなものを産み出し、それぞれにフィットするリアリティというものがあるんじゃないだろうか。勿論個々の作品ごとの世界観によって更に細分化していくものなんだろうけど(例えば攻殻機動隊の登場人物がアニメアニメした演技をしないように)、大雑把に言って虚構描写としてのリアリティ、現実描写としてのリアリティが別個に存在しているのだ。これを踏まえた上で先の「声優と俳優の違い」をみてみると、リアリティの源が異なる演技を声以外の表現手段の制約でのみ語るのは少しズレているように感じる。…感じるくない?
ところで、ちょっと前に声優さんがツイッターで声優の仕事は基本俳優の仕事となんら変わらない、芝居に徹すれば声色もついてくる、とにかく演技力だ(雑な要約で申し訳ない)というようなことを言っててバズってたけど、手のひら返すようだが実のところこれも正しい意見なんだろうと思った。結局の所演じるキャラクターをしっかり捉えて芝居をするのが仕事なんであって、リアリティの拠り所が那辺にあるかが演者の意識に上るかどうかは関係ないんである。プロはきっとその辺飛び越えて演じてしまうものなんだろう。
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